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上島竜兵|全芸人に慕われて愛された男

こんにちは。営業の櫻井です!
最近はココイチのカレーにドハマりしています🍛

最近は週に1回以上、ココイチのカレーを食べており日々の生活にココイチのカレーは欠かせません。

特に僕がオススメなのは「豚しゃぶカレー」です!

豚しゃぶカレー

豚肉のトロトロ感とカレーのスパイスの相性が最高ですね。一度食べてしまうと二度と後戻りできない最強のクスリなんです。
皆さんもぜひ一度食べてみてください!

さてさて、2022年5月11日に悲しいニュースが日本を襲いました。

僕も大好きなお笑い芸人”上島竜兵”が天国に旅立ってしまいました。

日本中が悲しみに暮れたこのニュースですが、それほど上島竜兵は愛されていた存在でした。

今日は僕が大好きな上島竜兵について簡単にお話をしていきますのでぜひ最後までご覧ください!

上島竜兵という男

上島竜兵の簡単なプロフィールはこちらです。

本  名:上島 龍平
生年月日:1961年1月20日
出 身 地:兵庫県
芸  歴:テアトルエコー養成所出身・青年座(’81年55月)・’86年3月太田プロに所属
趣  味:プロレス・野球観戦・野球(竜兵会)

上島竜兵

トリオ芸人ダチョウ倶楽部の中ではツッコミを担当しているが、ネタ以外では最も体を張っているいじられキャラで有名。怒って帽子をたたきつけるリアクションを持ちネタの一つとしています。

「どうぞどうぞ」や「熱湯風呂」など老若男女問わず知られている団体芸が有名です✨

出川哲朗さんと並んで、日本が誇る「リアクション芸人」ですね!

ダチョウ俱楽部結成のきっかけ

上島竜兵は日本が誇るお笑い芸人の1人ですが、元々本人はお笑い芸人ではなく俳優を目指していました。

高校卒業後、1年間アルバイトをしてお金を貯めて上京しました。
憧れの俳優は「顔が似ているからではないけど西田敏行さん」です。

その後劇団青年座研究所の試験に合格が決まり俳優デビューへの道が見えていました。

しかしその1年後、母親が病気になり実家に戻ることになりました。

実家に戻った後もアルバイトを続けて上京に向けた資金を再度貯めた上で2度目の東京挑戦をするも、前回とは違って俳優養成所の試験に落ち続ける日々が続きました。

ようやく「テアトル・エコー」に合格して俳優デビューに向けて努力しようと思った矢先に出会ったのが寺門ジモンでした。

寺門ジモン

ビートたけしに憧れた上島と寺門は養成所をやめてお笑いへ舵を切ります。

そして2人で作ったネタをテアトル・エコーの先輩だったコント赤信号・渡辺正行に見せたが「おもしろくないなあ」とダメ出し。そして「一緒にやったらどうだ」と肥後克広南部虎弾を紹介され、のちにダチョウ倶楽部が結成されました。

ベタなお笑いを浸透させた

1993年の流行語大賞大衆部門・銀賞にノミネートされた「絶対に押すなよ」を中心として「喧嘩してチュー」「どうぞどうぞ」など結末が分かっていても面白いベタな笑いを世間に浸透させました。

誰しもが結末を分かっているのに笑ってしまうのがダチョウ倶楽部の凄さだと思います。
1990年代後半から2000年代前半は「東のとんねるず、西のダウンタウン」が人気でした。

関西では「お笑い芸人=センス
関東では「お笑い芸人=スター

上記のようにダウンタウンととんねるずの存在がお笑いファンだけでなく世間全体に影響を与えました。

周りがダウンタウンのようにセンスのある漫才をやろうとしたり、とんねるずのようにハチャメチャなコントや歌を歌ったりする中でもダチョウ倶楽部はお家芸である「団体芸」と「リアクション」をやり続けました。

「伝統芸」と呼ばれるダチョウ倶楽部の団体芸ですが一つのことをやり通して磨いていくことの凄さがわかります。

竜平会を結成して後輩からも慕われる

上島竜兵といって思い出すのは何と言っても「竜平会」ですよね。

上島竜兵をボスとして構成されている竜平会には有吉弘行を始めとして、土田晃之や劇団ひとり、他にはカンニング竹山など名だたる芸人が所属しています。

多くのメンバーは竜兵会に呼ばれた当初、仕事に恵まれず暇を持て余していた若手でした。

面倒見のいい上島さんは、飲み代はもちろん帰りのタクシー代や小遣いを渡していた。「進め!電波少年」で人気者となったもの、仕事が激減していた有吉を上島は「竜兵会」に毎晩連れ出していた。

毒舌で有名な有吉は周囲に「上島さんがいなかったらとっくに野垂れ死んでますよ」と感謝をしていたり、「涙をこぼすのは上島さんの葬式だけ」と過去にツイートしていた。

その後、有吉を中心とした後輩たちが次々ブレークしても上島さんは「あいつらが売れるのが素直にうれしい」と喜んでいたり、上下関係やパワハラを強要しない人柄は、後輩たちの躍進後も変わりませんでした。

有吉、土田、劇団ひとりなど個性が強い後輩たちも、不遇の時期を支えてくれた上島に感謝をしており、土田がテレビ番組で「上島さんの老後は、竜兵会が面倒を見る」と発言するほど後輩たちから慕われていました。

土田はラジオで上島のことを「友達でもあり兄貴でもあり家族でもある」と発言したり、有吉が涙ながらにラジオで上島への感謝を述べていたことから、上島が後輩から愛されて慕われていた存在だったことが分かります。

ボスがいない竜平会ですが、後輩たちがみんな面白いのが竜平会のすごいところだと思うので、いずれまた竜平会スぺシャルをテレビで放送してほしいと心から思いますね!

おわりに

今日は僕が大好きなお笑い芸人「上島竜兵」のお話をしました!

最初にニュースを見たときは悲しかったですがダチョウ倶楽部のメンバーである肥後や寺門のコメントをみて元気になったので、またいつか元気になった竜平会メンバーの団体芸が見たいですね!

いつか熱湯風呂に挑戦したい櫻井でした!
ではまた次回お会いしましょう!

くるりんぱ!

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